今日は別のテーマを考えてたんですが、Twitterで「いじめはいじめられる側にも原因があるかどうか」について、まとめが流れてきたのを見たのでそれについて思うことを書いてみたいと思います。
あれはあれで一理あると思いますが、私にはしっくりこないところもあるので。
私もいじめられっ子でした
私もいじめられっ子だったんですよね。
幼稚園の年長のときに家を購入したのをきっかけに、転園しました。
もともとの幼稚園では全然いじめとか受けてなくて、楽しかったイメージがあります。
自分の中ではむしろ人気者だった記憶がw
まぁ、記憶は都合のいいように自分で作り直すのでほんとかどうかは今となってはわかりません。
幼稚園のバッグやお弁当箱に砂を入れられたりしていたようです。
そんな目に合っておきながら、当の本人はそんな記憶がさっぱりありませんでした。
いくら幼稚園とはいえ、結構ひどい目に合ってるのだから覚えてて当然だと思うんですけどね。
その話はだいぶ大きくなってから(10代後半~20代)くらいに母親から聞きました。
自分で聞いてびっくりでした。幼稚園なのに陰湿ですよね・・。
よほどつらかったからか記憶を封じ込めたのかもしれませんね。
たぶんそうなんだろうと私は思っています。
原因は全く分かりませんが、幼いころは自分で言うのもなんですが、ほんとにかわいらしかったので女子たちの嫉妬を買ったのか、転園してきたことで目立つからなのか。
そんなところかなぁと思います。
あとは、小学校ではいじめられていたと思います。
今となってはどんな目に合っていたか思いだせないのですがw
ずっと自分はいじめられっ子だという意識だけはありました。
縮こまって生きてましたね。嫌な目に合わないように。
人の顔色をうかがうのは得意でした。
家で母親の顔色をうかがうのが日常でしたので。
人に嫌な思いをさせないように、嫌われないように、嫌なことがあっても笑って過ごしてました。
自分が傷ついてることを知られたくない、という思いからかな。
弱みを握られたくない、みたいなね。
いじめられっ子の意識ってみんなそんな感じじゃないかな?
親にすらいじめられてることは知られたくなかった。
心配かけるのも嫌だったし、いじめられっ子と思われたくなかった。
まぁ、今思えば幼稚園の時からいじめを受けてたんだから親に言っても大丈夫だったかもしれませんがw
どこにいても気が抜けなかった。鎧を何重にも着て自分を守ってた。
自分らしく生きたい、と思っても自分らしさが分からないくらいに。
「自分が自分を好きにならなきゃ誰も好きになってくれないよ」なんていうよくある言葉を読んで、「自分を好きになれないから困ってるんじゃん!!!どうやって好きになればいいんだよ!」という怒りを覚えたことも。
中学校ではもっとなんか直接的に意地悪されてたような気がします。
みんなが、というよりはある一人の子が私にだけではなく他の子にも迷惑かけてた感じですかね。
あとは、なぜかみんな目を合わせてくれなかったりとかもあったような。
私が挙動不審だったのかもしれませんがw
高校になって、目を合わせて話してくれる子が増えてきて、ようやく「私も普通なんだ」という意識が芽生えたのは強烈に覚えています。
それまでは「みんな以下」だと思ってたんですね。
なんてさみしい少女時代・・・(´;ω;`)ウッ…
まぁ、これも私のあいまいな記憶からつらかったことだけ抜き出してるので、楽しかったことももちろんありましたよ!
今は関係ないので書きませんが。
いじめられっ子にいじめられる原因があるのか?
ある意味、あると思います。
これは、自分が自分を卑下しているのが原因だと私は思っています。
もちろん、それだけが原因ではないでしょうが。
優秀で目立つから周りが嫉妬して、とかもあるでしょうしね。
私の場合は、自分を周りより低く見積もってたから、周りからもそういう扱いを受けていたということじゃないかと思っています。
どうしても下手(したて)に出がちでしたからね。
そういう人にはみなさん強気にいきませんか?w そうでもないか。
私はそうなんですよね。下手に来てくれる人にはちょっと強気に言ってしまうところがありました。
人の顔色ばかりうかがって、自分を出さず、人にばかり合わせている。
何考えてるのかわからなくて、怖くないですか?
私は自分にそういうところがあるのがわかってて、自分のそういうところが嫌いだから同じような人を見ると嫌になるんですよね。
同族嫌悪ってやつでしょうかw
たぶん、そういうところがない人はそういう人を見ても何とも思わないんでしょうね。
幼稚園で受けた、子どもへの声かけの講話
下の子が幼稚園に通っているとき、家庭教育学級という、外部から講師を招いて親たちが講話を聴くという時間がありました。
小学校の元校長先生とかだったと思います。
その時のテーマは、「子どもへの声掛け」でしたかね。
私はPTA役員で、ちょっとした寸劇をさせられたのですが。
ある日、子どもが幼稚園に行きたくなさそうな感じで用意をのろのろとしている。どんな声掛けをするか?
(ちょっと記憶があいまいなので間違ってるかもしれません、ごめんなさい)
A
親「どうしたん?」
子ども「昨日〇○ちゃんとけんかしてなぁ」
親「ふうん」「とりあえず用意しいや」
子ども「でもな~」
親「いやいや幼稚園遅れるから!」
たぶんこんな感じだったと思います。ほんとはもっと長かったんですが、忘れてしまいました・・・
B
親「どうしたん?」
子ども「昨日〇○ちゃんとけんかしてなぁ」
親「そうかーそれでどうしたん?」
子ども「けんかしてそのままや」
親「そうか~どうしたらええとおもう?」
子ども「今日〇○ちゃんと話してみるわ」
親「そうやな、それがええな」
子ども「うん!」
だいたいこんな感じでしたかねーこっちももっと長かったですよ。
どっちがいいかは一目瞭然ですよねw
私はAの親をさせられましたw
あとで「めっちゃうまかった!」とママ友たちに言われましたwww
よくやっちゃうんですよね。
他のママさんたちもAをやっちゃうことが多いようでした。
頭ではわかってるんですけどね、余裕がないとBみたいな態度で接せられません・・・。
その講話の中で、講師の先生が言った正確な言葉は忘れましたが「自己肯定感が高い子はいじめっ子にもいじめられっ子にもならない」というような話をされたんです。
なるほど、と思いました。
自己肯定感が高い子は、他の人が自分のことをどういおうと気にならないだろうし、他の人を見てもこの人はこういう人なんだ、とあるがままを受け入れると思うんですよね。
100%そうなるかどうかはわかりませんが^^;
いじめっ子といじめられっ子は紙一重
前々章の最後で書きましたが、同族嫌悪。
これが私が考えるいじめのひとつの原因かな。
あとは嫉妬とか、人の上に立ちたいとか、そういうのですよね。
今あげた全部に当てはまると思うんですが、やはり自己肯定感が低いこと。
これがいじめられっ子になる原因であり、いじめっ子になる原因だと思います。
同族嫌悪のところで書いたように、自己肯定感が低い人を見ると自分の嫌なところを見ているようで嫌いになるとか。
嫉妬からのいじめは、自分の自己肯定感が低いから自分より優れている人を見ると、それを認めるのが嫌でどうにか自分のほうが上なんだと思いたくて相手の価値を下げるようなこと言うんじゃないでしょうか。
人の上に立ちたいというのは、やはり自信のないことの表れですしね。
とはいえ、自己肯定感の低い親が自己肯定感の高い子どもを育てるのはなかなか難しい。
まず親自身が自分を認められるようになれば少しずつ変わっていくと思います。
私も変わっている途中です。
もっともっと自分を好きになれるように認めてやりたいと思います。
これは個人的な意見なので、すべてのいじめが全部これにあてはまるかはわかりませんが、元いじめられっ子から見たいじめの原因を考えてみました。
では今日はこの辺で^^
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